想いの果てに

「聞いたのか?・・・全部知ったんだな。俺が誰かという事も」
澄慶は怯えたような目で学友を見た。学友も確かめるように澄慶の顔を見て、頷いた。
「まだ、はっきり言って混乱している。あの澄清と澄慶が同一人物だったなんて、まだうまく呑み込めない。でも、俺はさ、お前が誰だろうと惹かれてたから。もちろんお前に会うまではずっと澄清の事が頭にあった。あんな子供の頃の事なのに、こだわっていた。でも、お前が現れてから、それとは別にお前に惹かれはじめたんだ」
「俺の方は複雑だった。学友が今の俺に惹かれる事なんかないと思ってたから。阿袋が俺と似合いだなんて言われた時辛くて死にそうだった。だけど、今の俺に惚れてくれても正直、手放しで喜べなかった。だってさ、男の俺に惚れてるなんて・・・」
「くそっ!!・・・何で男になんかなってんだよ!!」
学友が堪らず言うと、澄慶の目が潤んだ。
「お前は女が好きなのか!?」
学友は吐き出すように言った。澄慶が何も言い返せないでいると、どこからか拍手をしながら、森仁が現れた。
「やはり、来ると思いましたよ。C.Cはね、情だけは厚いからね」
澄慶は冷静な表情で森仁の方を向き直った。
「森仁、俺はお前を信用していた。お前だけは信用出来ると思っていた」
森仁は両手を上に広げて首を竦めた。
「信用出来る人間なんてこの世にはいませんよ。あなたは甘すぎる。信じて裏切られる前にこっちから裏切らなきゃ。腐った人間の為に自分が犠牲なるなんてごめんだ」
そう言うと高らかに笑った。
「あんたは、可哀想な人なんだな」
学友が間に口を挟んできた。
「何だと?」
「人を疑ってずっと生きてきたんだろう?疲れるじゃないか」
学友は更に続けた。
「あんたの周りは信用のおけない奴ばかりだったって事だろう?」
「うるさいっ!黙れ!・・・C.Cを台湾に連れ戻す事が出来たら、俺はもう、誰にも指図されずに自由に生きるんだ!」
そう言うと、森仁は澄慶を捕まえようとした。学友が間に入り、森仁を殴り飛ばした。それを後ろで見ていた子分達が一斉に向かってきた。10人程束になってかかってきたので、澄慶も学友もあっと言う間に捕まえられてしまった。


2人は柱にお互い背中合わせになるように括り付けられた。気がつくと、外はもう夜も更けてきていた。湿度の高い濃厚な空気が二人を包んだ。蒸し風呂のような暑さで汗が額から、脇の下から胸筋から流れるのが感じられた。穿いてるジーンズが重く足に貼りついた。学友は手首の傷が今頃になって疼いてきた。痒いような痛いようなよく分からない感覚だった。澄慶もガラスで手を切っていたから同じような痛みを味わっているに違いない。

「・・・せっかく助けに来たのにこのザマだ」
澄慶は自虐的に言い放った。
「もう、気にするな。・・・一体何でお前は追われてる?」
学友は今まで聞きたかった事を改めて問うてみた。
「俺の親がある不動産屋に騙されて、多額の借金を背負う事になったんだ。その時の金貸し屋がヤクザでさ。骨の髄までしゃぶられそうになったって訳。 それで、何の因果か、そこのボスが、俺に惚れたんだ」
「惚れた?」
「うん。まだ女だった頃。俺も親や家の為に我慢して犠牲になった」
学友は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。澄慶がどんな顔して話してるのか、こちらからは見えない。
「でも、一向に家族の暮らしぶりがよくなる訳でもなく、脅され続けた。俺は俺でこのボスの奴隷みたいだった。ある日、俺は一代決心をした。この男から逃れる為には俺も顔や体を変えて、出て行くしかない、とね」
学友は何も言えなくなってしまった。想像を絶する過去が澄慶の口からどんどん語られて言った。
「男になるのが手っ取り早いと思った。男になれば、ボスも俺の事を忘れてくれる。ただ、俺がどこかに行っただけだと思えば、俺の家族に手出しも出来ないだろうと思ったんだ。手出しをしてしまえば、俺は一生現れないと考えると思って。ほとぼりが冷めたら、家族を迎えに行くつもりだった。その間の連絡役として、長い間、俺の家で車の運転手やボディガードその他をしてくれていた一番信用出来る森仁を連れて来たんだ」
「その森仁が、裏切ったって訳か」
「そうだな。・・・でも、俺を連れて帰ったとしても、こんな俺を見たら、ボスもいい加減愛想を尽かしてくれるかもしれない。・・・学友は、絶対に俺が助けるから。俺が大人しく台湾に帰れば済む事なんだ」
「バカッ!!帰さねえよ!そんな奴の所になんか!お前は、ここが故郷の筈だ!お前の家族だって、香港に住めばいいんだ!!」
「・・・学友」
学友はちゃんと澄慶と向き合って話がしたいと思った。
「俺は、お前が男で残念だと思ったけど・・・でも、男の姿をしていようと女の姿をしていようと、やっぱり俺はお前に惚れる運命みたいだ」
「・・・学友」
「そんな大変な思いして、男になったんだ。俺はどんなお前でも受け入れる覚悟は出来てるぜ」
「・・・・・・」
しばらく2人の間に沈黙が続いた。しばらくして澄慶が口を開いた。
「男になった事を今まで後悔しなかったけど、学友の顔を見た時、後悔した。だってさ・・・俺は一目であの学友だって分かったし、この恐ろしい偶然が哀しかった。こんな姿にさえなってなければ、俺はもっと早く、澄清だって名乗り出て、学友に抱きついてたよ」
学友は胸の奥が痺れた。もっと早く気づいてやる事が出来ればどんなに良かっただろうと思った。
「なあ、一緒に店をやろう。花屋と小鳥屋を合体させるんだ。壁をぶち抜いて自由に行き来出来るように改装するんだ。その店は人々の寛ぎの空間になるよ。いいアイデアだと思わないか?」
「・・・いいね、素敵だ」
「だから、結婚しよう。ずっと一緒にいよう」
学友は思い切って一息で言って、澄慶の返事を待った。
「もう、子供は産めない体だよ。毎日ホルモン注射打って、ボロボロなんだ」
澄慶は何でもないように言ったが、言葉の端々が震えていた。
「子供は要らない。もうホルモン注射なんかしなくていい。女に戻らなくてもいい。そのままの澄慶でいい」
澄慶は黙りこくった。鼻を啜る音が聞こえた。泣いてるのか。
「愛してるんだ。過去でも未来でもなく、今のお前を」



学友がそう言って澄慶が返事をする前に、部屋のドアが急に開けられた。学友も澄慶もドアに目を吸い寄せられた。森仁だった。
「C.C!今ボスと電話で話したんだが・・・もう帰って来なくていいそうだ」
「え!?」
あまりにも簡単に事が運ぶので、澄慶は思わず聞き返さずにはいられなかった。
「それ・・・本当なの?」
「ああ」
森仁は返事をしながら、どこか落ち着かない様子だった。
しばらく考えた末にゆっくり口を開いた。
「・・・口止めされてたけど、言うよ。実は、ボスは癌に冒されているらしいんだ。だから、もう、C.Cどころじゃなくなったみたいだ」
森仁もどこか上の空気味で喋っていた。
「俺も晴れて自由の身になった。お前らも解放してやる」






学友と澄慶は自分達の店がある海街へ向かって歩いて戻ってきた。信じられないが、これで澄慶はもう身を潜めて暮らす必要がなくなったのだ。
シャッターが下りていたが、自分達の店が見えてくると、ようやく学友が口を開いた。
「もう、何も心配しなくていいよ。また前のように楽しくやろう。・・・そうだ、阿袋にも、分かってもらえるように説明しなくちゃな」
「彩袋には悪い事をした。きっと軽蔑される」
「・・・気にするな。阿袋はああ見えて理解者だ。すぐに分かってもらえなくてもいつかきっと。・・・それより、明日から店開けるぞ!じゃないと、お前んとこの常連の劉叔にだって見捨てられるぞ。休んでた分、取り返さなきゃな!!」
澄慶は学友の顔を見て静かに微笑んだ。
「後、数時間でもう夜が明けてしまうね。じゃ、早く帰って寝て明日に備えなきゃ」
「そうだな。あ、澄慶、さっきの事だけど・・・あ、まあいいや。また今度聞くよ。今日は解散!手のケガは大丈夫か?」
「学友こそ。・・・ありがとう。気をつけてね」
2人はお互いの家に帰って行った。




次の日、学友は彩袋に澄慶の事を少しずつ話した。最初はショックが大きかったのか泣き出してしまったが、その内、自分に言い聞かすように何度も頷いていた。
「澄慶さんは私の事少しでも好きだったのかな・・・」
「もちろん、そうだろう。俺だって阿袋の事は好きだったさ」
「え〜!店長が〜〜??」
「・・・俺はずっと幼い頃のあいつを追いかけてたからさ、気づくの遅かったな〜」
彩袋がペロリと舌を出した。
「すみません、私店長の事はそういう対象で見た事なかったです。でも、いつも尊敬しています」
「ちぇ。何だよ、このやろ〜〜」
学友は彩袋の頭を小突いた。
「キャッ、すみませぇええ〜〜〜ん!」





しかし昼になっても、小鳥屋の店のシャッターは下りたままだった。結局、澄慶はやって来なかった。





学友が仕事を済ませ、澄慶の家に寄ってみようと思った時、澄慶の家の住所を知らない事に気付いた。学友は仕方なく、近くの公衆電話から澄慶の携帯電話に電話かけてみた。何度コールしても出る気配はなかった。
それからというもの、澄慶の店は2度と開く事はなかった。
何日か後には携帯のコール音も聞けなくなった。










澄慶は手元でバイブ音を感じながらも、電話に出なかった。
その目は遠くを見つめていた。
今まさに自由の身になり、自分の思い描いてた理想が現実になろうとしていた。
信じられない位に幸せだった。今まで苦労した事が全て報われた気がした。
澄慶は窓の外を見ながら、煙草に火をつけようとして、止めた。
そしてそのまま立ち上がり、この街を後にした。





「いよいよだな」
もう病に伏せって何年にもなる。何度も入退院を繰り返し、再発の度に手術を繰り返し、レーザー治療も効かず、抗癌剤投与を続けてるが、この間の検査で全身に転移してる事が分かった。
「縁起でもありやせんよ、ボス」
私はふっと笑った。この身に起きてる事が今までの生き方の仕打ちというなら、私はこの状況を甘受するしかない。私にはもう組織の事も権力や金にも、もう興味を失っていた。私が今でも忘れられないのは、C.Cという女ただ一人だった。
彼女が姿を消してから私はありとあらゆる手を使って彼女の捜索に力を注いだ。その結果、誰も私の前にC.Cを連れてくる事はなかった。
あれから5年の歳月が流れた。私も病気になり、身動きが取れなくなった。
もう、諦めよう。
そう、決心した時、肩の荷が下りたような気がした。何の運命のいたずらか、決心した途端に、C.Cの居所がわかった。香港にいるという。
私は何故かほっとして、その報せを持って来た男、森仁にはっきりと言ってやった。
「C.Cの事はもういい。私にはもう時間がない。・・・お前の面倒ももう見る事が出来ない。報酬はくれてやるから後はお前の好きにしろ」
森仁は心底驚いていた。私も自分自身に驚いていた。


「来週再開予定の抗癌剤治療も、もうストップしよう。無駄に延命治療を続けても、私の体は薬に冒されてダメになるだけだ。癌に冒されるか、薬に冒されるか、どっちでもいい事だ」
「そんな悲しい事を言わないで下さい。今までボスは可能性が1パーセントでもあるなら、挑戦する御方だったではありやせんか!」
そんな言い争いをする内にドアをノックする音が聞こえた。手下の一人が、代わりに返事をした。
「誰だ?」
「見舞いの者です」
「名を名乗れ!」
だが、答えないので、手下の男がドアを開けた。そこには頭を下げ、派手なシャツを着、だらしなくズボンを穿き崩した男が花を手に持って立っていた。
「何だ!お前は!部屋を間違えてんじゃね〜のか!?」
誰かがケンカ腰に言った。私は「まあ、待て」と穏やかに制すると、その男に尋ねた。
「何の用だね?」
男は顔を上げると、ゆっくりと近づいた。何人かが前に出て、それ以上近づけないようにした。
「私は、あなたに挨拶をしたくて、ここまでやってきました」
「何だと?誰だっつーてんだろ!うちのボスに因縁つける気かっ!」
私は手下の男共に下がるように命じた。
「もっと近くに来なさい」
男はおずおずと近づいた。
「・・・よく来てくれたね。C.C」

手下の男共は皆一瞬息を呑んだ。
「C.C!?あの・・・姐さん・・・!?」
しかし、その言葉に1番驚いてたのはC.C本人だった。
「・・・何で分かったの。こんなに汚くて、全然違う格好してるのに」
私は改めてC.Cを上から下まで眺めた。シャツから覗いた腕も、七分丈のズボンから覗く脛毛も、まさに男そのものだった。
「分かるさ。無駄に一緒に居た訳じゃない。・・・そうか、男になったか。さすがに驚いたな。その格好じゃ私の手下共の目もすり抜ける訳だ」
私は一笑いしてから繋いだ。
「何でここに来た?お前は男になってでも私から逃げたかったんだろう?」
C.Cは頷いた。
「だったら、もう、行きなさい。お前を自由にしてやる。私はもうお前を追いかける情熱もパワーもなくなったのだよ」
私はそれだけ言うと、布団を被った。
「男になったら、気持ちも冷めた?」
「ああ、そうだな」
私は面倒くさそうに言い放った。
「・・・明日も来るよ」
C.Cはそれだけ言うと出て行った。


澄慶は毎日のようにボスの病室へ通った。時々病室の窓の向こうの空を見ながら学友のいる香港に思いを馳せた。でも、澄慶は自分の決めた事に後悔はなかった。台湾に戻って、ボスの傍にいる事に。


「C.C、いつまでここにいるんだ?私はお前を自由にすると言った筈だぞ」
「ずっと傍にいるよ」
「何故だ?私が病気だからか?今更、同情なんか要らない」
「同情じゃない。自分の意思だ。・・・もう、どこにも行かない。だから、よくなってくれないと困る」
ボスは澄慶の頭をゆっくりと撫でた。
「今頃、そんな事を言われると私も困る。死ぬに死ねなくなるじゃないか」
澄慶は笑った。ボスには元気でいてほしい。ただ、それだけだった。自分のせいで、病気になったかもしれない、という負い目があったのだ。


「お前は香港に誰か好きな奴がいるんじゃないのか?」
ある天気の良い日、病院の中庭に車椅子で出てボスは言った。澄慶は車椅子を押しながら言った。
「そんなのいないよ。男の姿だしね」
「お前は男でも女でも魅力ある人物だ。私は、男のお前を見て驚きはしたけど、がっかりはしなかった」
「それは良かった」
「・・・もし、いるんなら、香港に戻りなさい。私には将来がない。お前に残せるものはお金とたくさんの部下位だ。私の後でも継ぐ気か?」
「いえ。お金もあなたの身分もどうでもいい。ただ、家族の事をもう許してやって下さい。お願いします。借りたお金は必ず返します。それとは別に私はどんな事があろうとあなたの傍にいるから」
「ありがとう」
ボスは小さな声で礼を言うと、目を細めて空を見上げた。
「今日はいい天気だな。眩しい位の陽射しだ」





それからしばらくボスの体調は良かった。このまま元気になるんじゃないかと思う程、食欲もあり、時には少しのお酒も飲んだりした。平和な日々が過ぎて行った。
その日の夜、珍しくボスが澄慶に病院に泊まるように言った。澄慶はボスの眠るベッドの横に座りずっと起きて見ていた。
すると今まで眠っていたかと思ったボスが目を開けた。
「ごめん、起こしちゃった?」
澄慶が言う事にも答えず、ボスは言った。
「C.C、後悔だけはするなよ」
「え?」
「時間は元には戻せないんだ。あの時、こうしておけば・・・って言ってももう遅いんだよ」
「・・・・・・」
「私はもう大丈夫だから。お前はお前の人生を生きなさい。私もそれを望んでる」
「ずっと傍にいるよ!」
「自分の心に素直になるんだ。私はもう十分にお前との時間を過ごせた。もう、思い残す事はない」
「そんな事言わないでよ!」
ボスが澄慶の手を取った。
「私は幸せだったよ。だから、お前にも幸せになってほしい。そして今まで私のした事を許してほしい」
ボスは言うだけ言うと、また目を閉じた。


次の日、前日まであれ程元気だったボスの容態が急変し、昏睡状態に陥った。昏睡状態になって3日目、大きな息を吐いたが最後、2度とボスの目は開かなかった。







あれから1年の日が過ぎた。小鳥屋だった隣の店は「出租」の張り紙が貼りつけられてあった。澄慶が買った物件なのに、勝手に売りに出される訳がない。という事は、澄慶が自分で売ってしまったという事だった。

学友はいつものように店を開けて花を並べる為のスチール缶を外に出していた。後ろから店のガラス戸を拭きながら、彩袋が声をかけた。
「店長、今日のお薦めの花は何ですか?」
「今日はこのオールドローズとコルチカムだ」
学友は既に作業場に置いてある花の束を指差し、彩袋は声を上げた。
「わあ、綺麗!・・・こっちのコルチカムは何だか不思議な花ですね。球根の土なしで育つんでしょう?」
「1年目だけね。でももっと増やしたいならやっぱ土植えが無難だな。ま、土なしならオブジェにも使えるし、珍しくて目を引くだろうな」
誰かが小鳥屋の前の張り紙をじっと見ている。まただ。学友はすぐに張り紙に見入ってる男に近づいて言い放った。
「その物件はもう、売約済だッ!」
「でも、張り紙が貼ってあるじゃないか」
「たった今売れたんだよ!」
男は学友を睨むと悪態をついて、その場から立ち去った。
「全く・・・油断も隙もない」
学友が腕組みをしながら大きく息を吐き出した。確かにここの物件は魅力的だった。古びた老舗が立ち並び、いい雰囲気を醸し出していた。
「澄慶さん・・・もう帰ってこないのかな」
後ろで彩袋が一人言のように呟いた。学友は振り返って微笑んだ。
「あの物件は俺が買う。後もう少しで買えるんだ。店を大きくするのは前からの夢だからな」
彩袋も学友の笑顔につられて微笑んだ。





澄慶はボスの墓の前に立っていた。花を供え、線香を3本持ち頭に掲げ、3回頭を下げた。風が強く、線香の煙が大きく流れた。慎重に線香を立てた。

(私が男になって香港に行かなければ、こんな事にならなかったかもしれない。
ボスの事は憎くて憎くてしょうがなかったけど、病気の報せを聞いた時、私は居ても立ってもいられなかった。あの強くて何事にも動じないあなたが病に伏せっているなんて。その姿を想像しただけで私は胸が張り裂けそうだった。
私はあなたの奴隷みたいだったけれど、あなたから離れる事だけをずっと考えていたけれど・・・)

澄慶はその場に泣き崩れた。ボスがこの世からいなくなった悲しさなのか、解放されて気が抜けたのか、今までの自分の向こう見ずな行動を恥じてか、学友と離れた事に対してか、後から後から涙が零れ落ちた。
「いつまでそうやって泣いてる気だ?」
声に気づいて、振り返るとそこには森仁が立っていた。
「なんで、お前、ここに!?」
森仁は笑った。
「俺はやっとボスから自由になった。お前だって自由になりたくてずっと逃げてたのに、何で今頃戻ってきてるんだ」
「ほっとけよ!俺のせいでボスは癌になったんだ。ずっと俺を探し続けて、長い事気の休まる時がなかったからなんだ」
「それで?」
森仁は冷静に尋ねた。
「え?」
「それでお前は、ずっとボスの墓守でもしようってのか?」
澄慶は口を噤んだ。
「そんなのボスは望んでないと思うぜ。もう、逃げる必要はなくなった。堂々と自分の道を歩けるのに、何故、ここにいる?」

(私は幸せだったよ。だから、お前にも幸せになってほしい)

澄慶はボスの最後の言葉を思い出していた。
「俺は挨拶に来ただけだ。これからアメリカに立つ。お前もよく考えろ」
森仁はそう言うと、そのまま行ってしまった。











学友はその日内職のようにまたコンサート向けの花束用のリボンをひとつずつ丁寧に作っていた。赤、青、黄、ピンク、緑など色とりどりのリボンのリングから職人のように一定の速度でリボンの山が積み上げられていった。
「店長〜〜!!また、例の物件を狙ってる男の人がいます!!早くしないと、今すぐ買うって言って近くのクリーニング店に電話を借りに行ってしまいました!!早く止めなきゃ!!」
「何だって!?」
学友は立ち上がり、すぐに店から飛び出した。
見ると、斜め向かい側のクリーニング店に入って電話している男の姿が見えた。男は何度も頭を立てに振り、今にも話がまとまりそうだった。
学友は走ってクリーニング屋に向かった。ドアを開けると大声で邪魔をした。
「待て〜!!その物件は、・・・俺が買うんだ!!」
学友が後ろから無理矢理電話を奪うと、男は振り返った。学友は思わず息を呑んだ。
「残念だったな。たった今、買い取った」
学友は一瞬声を出す事が出来なかった。
「あそこには小鳥屋を開こうと思っている」
「澄・・・慶・・・」
やっと出た言葉はそれだけだった。前の格好とは大きく違って黒のスーツを着ていたので、見違えた。髪もきちんとセットしてあった。
「帰ってきたよ、学友。遅くなってごめん。台湾に戻ってボスに挨拶してきた。ボスが旅立ったから、俺も、旅立つ事にしたんだ」
学友は目を見開いたまま、頷くしかなかった。
「ただいま」
澄慶の言葉に思わず学友は澄慶を抱きしめた。
「このバカッ!!・・・心配したぜ!もう帰ってこないかと思った!!もう2度と・・・!!」
「学友・・・。勝手な行動してごめんね。本当は帰らないつもりだった。でも、俺はやっぱり学友の事を忘れる事が出来なかった。ボスにも・・・ボスにも、香港に戻ってもいいって何度も言われた」
学友は黙って澄慶の言う事を聞いていた。
「あの時の返事まだしてなかったね。・・・俺も学友を愛してる!過去でも未来でもなく、今の学友をね!」
「〜何だよ、それって俺のセリフだったのに」
「しっ、黙って」
澄慶が学友の唇に人差し指を立てたがゆっくりと離すと、どちらからもともなく、くちづけた。長い長いキスだった。

「あんた達、何なの?うちの店で!!ゲイだったの?学友!」
先程まで黙って見ていたクリーニングのおばちゃんがカウンターから口を挟んだ。
学友は笑って返した。
「ゲイじゃないよ。こいつはこう見えても女なんだって。俺達結婚するから、宜しく〜」
「はあ〜?」
おばちゃんがあんぐり口を開けてる間に店を出て、自分達の店の方へ向かった。
「阿袋は気づいてなかったのかな?」
学友が言うと、澄慶が笑った。
「もちろん、気づいてたよ。1回は俺に惚れた女の子だ。気づかない筈がないじゃない。2人で学友を嵌めてやったのさ」
「何だって〜!?」
彩袋が店の前に立って待っていた。
「お帰りなさい、澄慶さん」
「ただいま!これから・・・も、宜しく♪」
「私、まだ信じられないんですけど、澄慶さんが女の人なんて・・・」
「うん、ごめんね。でも、まあ、このままだけど。彩袋には本当に悪い事したと思う。男だったらね、君みたいな女の子が1番いいと思った」
「え〜、もう今更いいですよ。そう言えば、店長にも、私が好きだったとか告白されたんです」
「な、何ぃ〜〜!?」
澄慶が隣の学友を睨んだ。
「俺が消えたから、すぐ、気が変わったんだな!何て奴!!」
「ち、違うよ!あれはだな、お前が現れる以前の話をしただけで・・・あ〜、もう阿袋、勘弁してくれよ〜〜」
彩袋はにっこりと微笑んだ。
「分かってますよ。ただ、私だって辛かったから、ちょっといじわるを言っただけです。お2人が羨ましいから」
「阿袋・・・」
学友と澄慶は申し訳なさそうな顔をした。彩袋は両手をパンッと打った。
「・・・なぁ〜んて、心配要らないですよ。私にもちゃんとダーリンがいますから」
「え!?そ、それは初耳だ!!だ、誰だ!?い、いつからだ?」
学友が驚いて尋ねた。
「いつも来る常連の人ですよ。もう3ヶ月位になりますね。あ、これ以上は秘密♪」
「そうか〜〜、良かったな!」
澄慶が彩袋の肩を叩いた。彩袋も頷いた。
「弟の具合も段々良くなってるし、澄慶さんも戻ってきたし。ここもまた活気が出ますね♪」
「花屋と小鳥屋を合体させようと思ってるんだ。阿袋、また業務が増えるけど、いいかな?」
学友が尋ねると、彩袋は大きく頷いた。
「もちろんです!じゃあ、お2人は一緒になるんですね!おめでとうございます!何だかワクワクします!!」
「そう言ってもらえると嬉しい。じゃあ、また阿袋の彼氏も紹介してくれ」
「はい」


次の日、早速、改装屋が入り、澄慶は店の前にしゃがんでペットボトルのミネラルウォーターを飲んでいた。手が空いた学友は澄慶の傍まで行って声をかけた。
「暑いだろ?うちの店に入って休めば?」
「あ〜、ありがとう。そうするか!・・・サボられると困ると思って見張ってたんだが」
「大丈夫だろう」
花屋の中に入るとリボンの束がわんさと積まれていた。学友が椅子を出してきて澄慶に座るように薦める。そして、リボンとはさみも一緒に渡した。
「何これ?手伝えってか!?」
「ピンポーン♪今日から10日間佳境よん〜。何せ、日本の歌手のコンサートが始まるんだからね〜」
「優しい言葉かけてくれたと思ったら、くそっ。乗せられてしまった」
「フフフ、世の中そんなに甘くないね〜。合理的にいこう、合理的に。休憩しつつ、仕事がはかどる、一石二鳥じゃないか」
ため息をつくと澄慶は大人しくリボンを作り始めた。学友も横で同じ作業だ。
「澄慶、煙草止めたんだな」
ぼそっと学友が言うと、澄慶は唇の端を歪ませた。
「当たりきよ!ここを出た時にな。もう随分前だ」
学友は澄慶が黙ってここを出て行った日の事を思い出した。
「澄慶」
「ん?」
「もう、どこにも行くなよ」
「行かね〜・・・」
しばらく2人は作業に没頭した。今度は澄慶がその沈黙を破った。
「学友」
「何?」
「本当にこんな俺でいいの?もう、女にも戻れないし男としても中途半端な俺で」
「何言ってんだ。そんなお前が俺は好きなの!」
あまりのストレートな学友の答えに、澄慶はきょとんとした後、肩を震わせて笑い始めた。
「ふふふ、バッカだ〜〜〜。限りなくアホウだ〜〜!!」
「アホウでも何でもいいよ。台湾なまりの広東語を喋るお前が好きだ」
「ははは、ほっとけよ〜〜!」
「澄慶・・・澄清、・・・ずっとずっと好きだった」
はははと笑い続けていた澄慶が急にマジメな顔になった。
「学友、俺も。ずっとずっと好きだったよ」
澄慶が学友の手を握った時、店のドアが開いて、彩袋が帰ってきた。
「ただ今、休憩から戻りました〜♪・・・あ、あ〜!妖しいんだ!!2人して手を取り合ったりして!!」
「いや、これはリボンの作り方を教わろうとして・・・」
澄慶が言い訳しようとすると、彩袋は慌てて言葉を繋いだ。
「澄慶さん!それより、お店、大丈夫?改装やってる人達、あの店の中で酒盛始めちゃったけど」
「な、何ぃ〜〜〜!??」
澄慶は立ち上がると、拳を振り上げた。
「ちっきしょ〜〜!これだから、嫌なんだ!全くよ!」
そう言うとそのまま店から出て行った。
学友と彩袋は顔を見合わせて笑った。


半年後、花屋と小鳥屋が一緒になった『輕鬆花茶』という店は香港で話題を呼んだ。
花と小鳥のショップのすぐ横で軽くお茶を飲めるスペースもあり、人々の憩いの場となった。


終劇






とうとうこの日が来てしまいました。
大分ブランクが開いてしまいましたが、それでも、ずっと忘れず、
時期毎にこの小説の事を気にしてくれた少なからずの人々に感謝します。
それがなかったら、もしかしたらこの小説は中途半端なまま、止まったまま
だったかもしれません。

この物語を書き始めた当初、学友と澄慶のペアなんて、ミスキャストじゃないか
とも思ったんですが。(笑)でも、これを書き進める内に、現実の2人も
仲の良さが目立ってきたので、嬉しいやら不思議やら。
(元々良くはあったけど、最近は妖しさがプラス)
リレー小説でありながら、大まかな設定は決定していました。澄慶が実は
女性だったというのは、書き始めから決まっていたのです。(笑)
現実の澄慶はとても男らしい人だし、学友とペアになった場合どっちが
女かな〜と想像して、学友のが女っぽさは持ってる筈なのにどうもこの2人が
一緒に出ると、澄慶が学友より控えめになるような気がして。(笑)
で、まさにぴったりな感じの展開だ、と自己満足しております。
最終回を書くに当たって、映像が切れずにどんどん出てくるので
こんなに長くなってしまいました。ストーリー的には私には珍しい、
オーソドックスラブストーリー展開になりました。その点では、想像通り
に話が進んで、意外性には欠けたかも?ミステリアス展開がウリの私だからな。(?)
よければ、また感想等お待ちしています。全ての読者の方に多謝!!

JOAもご苦労さんでした。また機会があったら、書く?(笑)
ではご愛読ありがとうございました〜!これからも宜しく!!  白蓮☆2003.9.25

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